1 「ボケボケ」と 「ボケ」言うぼけは ボケならず 本当のボケ 「ボケ」と言えぬボケ
1 「ボケボケ」と 「ボケ」言うぼけは ボケならず 本当のボケ 「ボケ」と言えぬボケ
1 「ボケボケ」と 「ボケ」言うぼけは ボケならず 本当のボケ 「ボケ」と言えぬボケ
王 真摯太郎(おうしんしたろう)
<解説>
「『物忘れが激しい』とか『頓珍漢なことをよく言う』人の事を『ボケ』と言ってはならず、『認知症』というべきである」という話を聞く。最近では、認知症とまで言わず、ただ単に「にんち」と省略して、「あの人にんちになりはった」などと言ったりもするが、不倫の結果の子供のニンチと混乱しそうになるので、「ぼけた」の方がよっぽどいいとも思う。
そんなこともありながら、他人に言うのは別として、自分の事は「ボケ」と言ってもかまわぬと思う。しかし、自分が「ボケた」と言っているうちはまだ華である。
作者は歯科医師。
担当の介護施設で、本当のボケをたんと見てきた。そこでは、多くの本当の認知症患者は、「ボケた」と自分で言うどころか、言葉すら発しないのが現実である。本当に一日中、多分食事時以外は、場合によっては食事をしている時も、「ボー」としているのである。悲しいかな、ピンピンコロリやガンで頭脳明晰な時に死んでしまう以外は、多かれ少なかれそんな感じになるだろうな。などと、ぼーっと考えた事を、歌にしたようだ。
そんな認知症の人でも、口から食べている限り、歯がグラグラになったり、入れ歯が壊れたりするなど、なんだかんだと歯の問題が起こる。ヘルパーさん達は「これは大変だ」という事で、ケアマネージャーという平成時代初期に生まれた新職種を通して、あまり患者がいそうにない暇そうな歯医者を見つけ出しての訪問診療となる。
受けた歯科医師は、訪問診療は結構大変で儲けにはならないのだが、それでも頼りにされた事に生きがいを感じて、無理やり考えられたペンネームのごとく真摯に受け止め、「往診したろう」という事になるのである。
「往診したろう」とはちょっと偉そうだが、自分の診療所をほったらかして、そんなにも儲からないところに行くのだから、「往診させていただきます」と電話ではいうものの、内心の気持ちは許してあげてもいいとも思う。
「月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月」に習って、詠んでみた作品のようである。韻を読む技巧に走り過ぎてはいるが、そこそこの評価を受けてもよかろうと思われる作品でもある。
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