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13 忘れ物 小学生の 頃からか 今となっては 誰もとがめず

13 忘れ物 小学生の 頃からか 今となっては 誰もとがめず

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忘れ物 小学生の 頃からか 今となっては 誰もとがめず

<短い解説>

小学生のころは、忘れ物の多い子供であった。「また忘れ物。」と先生と親にしかられていた。誰しも心当たりがあるだろう。

認知症になれば多くを忘れる。「また忘れもの。」と家族にしかられている間は、問題がないとは言わないが、まだ、すくわれる。本当に認知症が進行すれば、家族は怒らなくなるし、注意すらしなくなる。家族は、共感と同調という冷やかな優しさを表現する。

大丈夫、大丈夫。私がしますから……。

<長い解説>

認知症には誰もなりたくない。しかし、多くの人が、人生の終わり頃には患う可能性が高い病気が認知症。認知症になると、忘れ物が多くなる。

忘れ物………。そう言われれば、小学校の時には結構忘れ物をして、教室で立たされたり、母親に持ってきてもらったりしていた。

「どこかが足りない、忘れ物が多い子供だ」と言われ続けながら、高等教育を受け、歯科医師になり、そう言われながらも、医学博士まで取得した。

その高学歴の自分自身も、いつかは小学校時代以下への回帰現象となるのであろうか? いやその前に、癌か何かで回帰現象を待たないまま没するのであろうか?

忘れ物をする行為を物忘れという。忘れ物は後で発見されそうな気がするが、物忘れは改善されそうもないニュアンスもあろう。

経年的に、忘れ物がいつのまにやら物忘れと言われるようになる気もする。

こんなことから、忘れ物から物忘れへの変化は、認知症の始まりと思う。

認知症と診断される前は、家族は手厳しいい。「おばあさん。また忘れ物」「おじいさんも、物忘れが激しくなった。しっかりしてね」といった感じだ。

「息子たちはうるさいことをいう」と小学生が怒られているように思うのだろうか。

でも、それは小学生に接するように、「注意すればまだなんとかなる」と思われている証拠。

本当に認知症になると、家族は途端に優しくなる。咎めても仕方がないとわかるからである。

さて、違う視点から、物忘れを見てみよう。というか、別の日に思いついたことを書き留める。

物忘れを漢語でいうと失念となる。

失恋とは叶わぬ恋の結果そのものをさすことは誰でも分かるが、失念というと、失恋とは漢字も似ているし、発音も外国人なら間違えそうな「れ」と「ね」の違いだけで、なんだか分からない人もいよう。実は失念とは物忘れの結果のかしこまった言い方である。物忘れと忘れ物はほとんど同じように思えるが、実は若干の違いがある。物忘れとは忘れるという現症のことを示し、忘れ物とはどちらかというと忘れた物の実体を示す。

誰でもだと思うが、小学生の頃は良く忘れ物をした。絵の具に彫刻刀。宿題プリント、体操服。給食代。ハンカチ、ちり紙などなど。しかし、小学生に「あんたは忘れ物が多い」とは言っても、「物忘れが激しい」とは言わない。なぜだろうか?

以下、上記に同文。

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