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39 あの人を 思い出すのは 顔ばかり     名前はどこぞへ かくれんぼかな       名隠 斬蔵

39 あの人を 思い出すのは 顔ばかり     名前はどこぞへ かくれんぼかな       名隠 斬蔵

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あの人を 思い出すのは 顔ばかり 名前はどこぞへ かくれんぼかな  名隠 斬蔵



「あの人が ほらさー あれしてはって おもろかったわ」と言われてもなんのこっちゃわからんが、よくあることである。解りやすい文章には5W1Hが必要だと言われており、意味上の主語は「あの人が」か「あれしはって(あの人がしたことが)」だと思うので、それなりには文章になっていると思うが、なにせ指示代名詞の数が増えるに従い、その内容はわからなくなる。このような会話は幼児にもあることだが、お年寄りになるとまた増えてくる。

あの人、ほら、あの人よ。メガネかけてパンチパーマで、よく白いズボン履いて……。なんて、はっきりと頭の中では絵を写真のように描けるのだが、なんせ名前が出てこない。どうしてだろう。やはり、脳の中で画像の記憶域と単語の記憶域が違うのであろうか? 多分違っていて、その二つの領域をコネクトする神経シナプスが虚弱化しているのだろうか? そうであるかどうか、一度脳科学者に聞いてみたい。

脳科学などまったく知らない素人さながらに考えてみても結論は出ないが、それでもよくよく考えてみて、解答をさぐることも面白い。そんな一つに、名前を覚えてはいるが顔が思い出せない場合と、顔は覚えているが名前を思い出せない場合とでは、なぜか後者の方が、苦しさを感じる気がするということがある。例えば、古い名簿などで同窓生の名前を見て、顔を思い出す場合と、古い写真を見て名前を思い出す場合を考えてみたい。後者の方は「えーっと、えーっと、なんだったっけ?」と名前を思い出すことを追及しがちで苦しくなるが、前者の場合は「顔はどんなんだったっけ? まあいいや」となってしまいがちに思う。これが正しければ、「画像で記憶されていなければ、重要視されない」とも言えるし、「個人認識というものは画像に依存して起こり、言語はその付け足しにすぎない」とも言えるのであろうか?

確かに、系統発生的に考えても個体発生的に考えてもこれはたぶん「当たり」であるに違いないと思う。多分あたりに違いないという卑怯な日本をつかってしまったが、現実は、下等な動物と高等な動物を比較しても、新生児から大人になるまでの発達段階を比較しても、最初画像で捉えて、言語は後から付いてきているのだ。

系統発生という言葉は二つの単語でできており、それは「系統」と「発生」である。この二つの言葉の「系統」を主に右に置いた時、対立する左側の言葉は「個体発生」となるが、「発生」を主に右に置いて対立する言語は、絶滅危惧種が具体的代表になるような現象の「系統衰退」、あるいは「系統消滅」が考えられる。

おなじように個体発生からは対立言葉に系統発生があるが、「発生」という言葉を主軸に右にたてて対立する言葉を考えてみると、「個体衰退」、あるいは「個体消滅」となる。

その個体の発生から衰退もしくは消滅にいたる、分子から個体、個体から分子への物理的回帰点を、昔の日本人はとても的確に表現した。「還暦」である。

この「還暦」という言葉があるように、ブーメランのように個体発生を逆に進み出すのが老化だとしたら、その過程では、記憶は言語から消失していき、画像が残るとも言える。その画像は新しいものから消えて行き、最後には子供の頃の画像だけが、固有名詞が思い出せないまま、残るのであろう。

そして、その子供の頃の画像さえ消失したとき、多分、人格を完全に失うのである。

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