中国人は命の危険とともに発言している。
中国人は命の危険とともに発言している。
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たぶん1980年代の後半、京都大学でネズミの「フレンドウイルス誘発の癌」を、「免疫学的手法を用いていかに治すか」を追求していた頃、麻原彰晃 対 大川隆法の対談が、京都大学のどこかの建物で行われるという立て看板があった。
そのころ、二人とも知らず、全く興味がなかったので、その対談を見逃した。
坂本弁護士一家失踪事件もあった頃だったが、こちらも、さっぱり何かわからず、興味がなかった。
「そんなこともあるのかな」と思っただけだ。
その当時興味があったのは、「癌を免疫学的に治すこと」と「可愛い女の子」ぐらいだったと思う。
今から思えば、今の私がその時にいたら、絶対にその対談を見に行くはずだが、過去に戻ることはできない。
そんな時代の 1989年6月天安門事件は起こった。
日本では、私の知り合いの中国人留学生が集まって集会をして、それを、怪しい、これまた日本人ではなさそうな人が近くで偵察していた。
今でもファッションでなんとなく中国人はわかるが、当時は変装してもわかった。
そんなこんなの時、京大ウイルス研の中国人大学院生のお家で、奥さんの作った餃子を食べながら老酒を飲みながら、文化大革命とか天安門事件とかの話しを聞いたが、はっきり言って理解できなかった。
老酒で酔っ払って理解できないとその時は思っていたが、大川隆法や麻原彰晃と同じで、まあたいして興味もなかったこともその原因であろう。
今はそのお友達は、中国のある医学部で教授をしていて、連絡はしていないが、多分コロナで忙しいことであろう。
今、なぜ、あの時理解できなかったのかが、だんだんわかってきた。
日本人の道徳や感情を基本に考えたから、中国人のしたことがわからなかったのだ。
理解するための座標が違ったのだ。
対数やLogの座標軸に、リニアーな数値をもってきても、何が何だかわからないグラフになってしまうと同じように。
今は、この一見間違いに思えるグラフを理解する知識を、ネットというところから得て、なんとか理解できるようになった気がする。
対数やLogの座標軸がなぜ必要かというようなことが理解できれば、まあ現状を理解できる。
それが、いいことか悪いことかは別にして。
そんな動画だ。
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