中国アメリカ
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1998年1月、妻と二人で米国に渡った。シアトルからミズーラにいく予定のアラスカエアラインに乗った。
だが、大雪で、その便は、ミズーラから遠く離れたカナダ国境沿いの空港に止まった。
その後、4時間かけて、バスでミズーラへ到着した。
ミズーラで待ち合わせのボスは、日本人を何人も雇っていたことがあり、日本人にはとても親身になる人だった。
その感激は今からでも思い起こすが、ミズーラ空港でボスとボスの奥さんが4時間ずーっと待ってくれていたのだ。
わかっているアメリカ人、特に知識階級にいる人にとっては、日本人はある程度、捨てておけない存在、あるめん尊重する存在ではないかなと思う。
しかしながら、そんな歓迎を受けた日本人留学生も結構、差別でなはく、区別は受けた。
米国政府機関の研究所での「多様性(日本でいうと部落解放運動に当たるのだと思う)の学習」の全体学習会の中で、演劇があったが、その中で、日本人研究者は英語が下手くそな、ものをはっきり言わないしょぼい研究者として下げすまされて登場していた。
まあ、仕方がない。私も英語が下手だから。
全部の日本人の研究者が英語が下手だとは言えないが、私は下手で、その通りと自分のことだと感じながら、東洋系顔の役者が、下手な日本語訛りの英語を発言して、何が原因だっかは忘れたが、なんらかの差別を受けるというストーリーの小演劇であった。
黒人の演者も何か嫌な目にあったような演劇であった。
まあ、典型的有色人種差別の演劇だった。
その後、この小演劇を受けて、どう聴衆が考えるかということを発言させ、正しい道を導かせるという、ファシリテーションだったと思う。
最終的には、人権は平等でハピーエンドに終わる内容だった。
でも、「英語が下手な日本人」は、真実であるが、なぜか面白くはなかった。
その時も、今もどうして面白くなかったのか、時々考える。
他者と自分。区別と差別。優越感と劣等感。努力と非努力。成功と失敗。
これらの言語が頭に浮かびながら、我々はどうしたらいいのかと考える。
コロナ騒動の中、人権用語募集の用紙が笠置町に配布され、思いついたことを書いた。
過激で採用されないかもしれないので、ここで発表しておこうと思う。
「笠置町で 最初の患者にゃ なりたくない そんな気持ちは 差別の始まり?」
差別は何から始まるのだろうか?
患者になっていない人は、患者を差別した目で見るのだろうか?
それとも、患者になった人が、患者になっていない人から差別の目で見られると思うのだろうか?
いずれの立場でも、なにか起こると、それがあるひととないひとでは、区別は生じる。
京都産業大クラスターの原因となったヨーロッパ旅行の女子大生の日の父親は、周囲から責められ続け、自殺した。
コロナウイルス感染症も差別のきっかけになりうる。
現象があり、差別が始まる。
でもその現象は、あくまでも区別にすぎない。
区別には、右と左のような、無機的ものだけではない。
なんらかの背景、努力などが絡み混んでくる。
区別は仕方がない。
私は、それまで悪いと思わない。
アメリカ人にとって、日本人が英語が下手なのは、一般常識だからだ。
私は、アメリカで、まあまあ業績を残して、発展性のある仕事を残して帰国したので、その後は結構な評価を受けている。
日本人は英語は下手だけど素晴らしいとの評価は、ずーっと前から先人が築いている。
昨年行って、20年くらいたっていたが、大歓迎された。
組織のボスもそのボスも代わっていなかったのでその方がびっくりしたが、私の残した課題からの結果からの業績の影響で大歓迎された。
研究を続けていたら......
と考えもする。
コロナ騒動で時々テレビに出るので、「あの人は、僕のボスのボス。挨拶して握手したこともある。Nice to meet you. ぐらいした言えてないけど、自慢はできる。
そんな自由の国でも、許せないとこは中国共産党である。
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