51 注射さす 村さ看護師 お嫁行き 患者は見ずや 老医の震えを
51 注射さす 村さ看護師 お嫁行き 患者は見ずや 老医の震えを
注射さす 村さ看護師 お嫁行き 患者は見ずや 老医の震えを
今はコロナで特に問題になっているが、「医師や看護師の適正配置はどうすべきかという問題は、資本主義経済に任せて良いか、あるいは、行政が積極的関与すべきか」と言った、深い問題を問うた狂歌。 そこまで読める人はきっと国語の成績はよかったと思う。
さて、医療過疎地域においては、医療従事者の確保が地方行政の重要課題となっている。その課題をどのようにこなすかはその市町村の手腕の見せ所になると思う。具体的には、保健所や県庁への嘆願?、予算の工面、大学教授や医療法人への医師の派遣依頼、などとなると思う。
さて、さて、笠置歯科口腔外科診療所は、無歯科医師地域として17年間続いた笠置町にある。聞くところによると、笠置町には精華町あたりからきた歯科技工士が、歯科医院の無免許開業をしていた暗黒時代もあるということである。ま、そんなところだから、田舎度は御察しの通りだ。現在は1200名程度しか住んでいない町である。
こんなところで、なぜ町設の歯科医院があるかというと、竹下登内閣の一億創生プロジェクトで「各市町村に一億円配る」という、今から思えば驚きの政策があり、その使い道を町民、議員、役場職員で検討した結果、その一億円のうち4700万円を使って、17年間無歯科医師町であったこの町に、町設の歯科診療所を作ろうということになったことが発端で、平成7年に設立されたことに始まる。
しかし、建物や設備をつくったからといって、条件の悪いところには歯科医師は、普通はこない。利益重視の歯科医師は自費診療の多いお金持ちの多くいる都会、生活しやすく子供の教育しやすい都会に行きがちだからだ。
それでも、笠置に来る歯科医師がいるということは、僻地診療に情熱を燃やすもの好きな歯科医師もいるということで、私は2代目である。
情熱に加えて、まあそれなりに大からずもメリットもある。一酸化窒素の濃度は確かに低い。庭に直径5メートルのトランポリンも置けるし家庭菜園もできる。
しかし、しかし、トランポリンで遊ぶ子供は少なくなり、家庭菜園のぶどうや野菜は猿にやられた。
地元の患者はだんだん死んでいき、弔意放送を聞くたびに、今年3万円の収入源となると発した、理容店の主人の気持ちがよくわかる。
いまさらここを離れるほどの勇気がないとは言わないが、残された患者のことがきになるので、経営をなりたさせるためには出稼ぎとなる。
幸い技術的には熟しており、患者対応も診断も技術も黄金期である。世間的には、しょぼい開業医なので大したことはないが、年齢的に交友知人関係のエネリギーはマキシマムで、京大の湊総長をはじめとし偉い人が多いので、虎の衣をかる狐のごとく、出稼ぎ先にはこまらない。中堅病院への招聘話もポツポツある。
しかし、行き先は多けれども、一週間に7日しかないのは、それを拒む要因となる。
そんなこんなだが、僻地診療維持に意地になっているもの好きも、いずれ年老いていく。
私の子供達は、歯医者にはならない選択を選んだので、よっぽど「こんな所で歯医者なんかやってられるか」とでも思ったのだろう。
それも含めてだが、この先、どのようにこの歯科診療所を、継続、あるいは廃止に持っていくかを考えながら考えてみた。
これが医者の場合もにたようなものであるが少し違う。歯科医師の場合は、手が震えだすとやめどきだと思うが、医者の場合、見立て(診断)ができれば、注射などのテクニカルなところは、若い人に任せて、死ぬ直前まで、医者であることもできよう。
などなど、無責任なことを考えながらふと思いついたのが、この短歌というか狂歌である。
看護師は、大抵は若くて美人、いやそうでないかは不問にしても仕方ないが、テキパキとした看護師が採血、注射や点滴をやってくれて、先生がヨボヨボでも、周りは何一つ文句言わない、と思う。
しかし、不問にするという採用条件以上の若くて美人で優しい看護師が来て、テキパキと仕事をこなしていたら、最初は喜び、その後その看護師の行方を誰もが心配というか、期待というか、複雑な気分になると思う。
できれば、町内の誰かと結婚してくれて、ズーっと、たとえ先生が死んでも、自分が死ぬまでは、その看護師さんに注射して欲しいいと思う村人は多いのではないだろうか?
訪問看護などすれば、「わしの最期は⚪︎⚪︎さんに看取って欲しい」と、まだ生きていて、特養にいる長年連れ添った婆さんをほっておいて、初恋ならぬ終恋などしてもおかしくない。
そんな、お年寄りにとっても、若い人にとっても、マドンナ的独身看護師などいようものなら、その医院は大繁盛。
残念ながら、村にはその看護師さんの婿候補になりそうなものはおらず、よその都会の男にとられるのではないかとの、心配もあろう。
日曜日に看護師が若い男の車に乗ったともなれば、すぐさま噂になる。
そして、その心配が現実になり、注射を、ここ数年看護師に任せていた老医がしないとならないとならなくなったら・・・。
あくまでも、昭和中期の近所の医者を思い出しながらの話ではある。
医者への運転免許の取り上げはあっても、医師免許の取り上げ制度は今の所ない。
同時に思いついたのが下記であるが、よりリアルな方を選んだ
注射さす 村さ看護師 お嫁行き 残され患者に 秋風の吹く
「注射さす 村さ看護師 お嫁行き 患者は見ずや 老医の震えを」 は
「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」
からの本歌取りとわかる人は、きっと高校の古典の成績はよかったと思う。
と書いてからの話だが、
注射さす 村さ看護師 お嫁行き 患者は見ずや 老医が針震る
でより本歌取りに近いが、わかりにくいか?
やっぱり、表題のものがいいか。
自分で書いたものは、迷ってしまうのである。
誤解が生じているようなので、断っておくが、笠置町の内科医は、私よりは先輩であるが、見目麗しい女性であり、まだ手は震えてない。
だが、彼女の一人息子も、奈良医大に行きながら、優秀であるがゆえ、医学とは別の道を歩んでいる。
彼女が笠置町に一つしかない内科医院を閉院するか、私が笠置町に一つしかない歯科医院を閉院するか、それは今後の歴史となるが、それまで、頑張るしかないというところまで、読める人はいないと思う。
だが確実に10年−20年後に笠置町に降りかかる問題である。
この短歌にあうイラスト募集しています。詳しくは、miwashiro@mx2.wt.tiki.ne.jp (岩城まで)
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