52 二百月 散歩し続けた 笠置橋 姿勢と歩幅に 散りゆくもみじ 万穂 歩
52 二百月 散歩し続けた 笠置橋 姿勢と歩幅に 散りゆくもみじ 万穂 歩
二百月 散歩し続けた 笠置橋 姿勢と歩幅に 散りゆくもみじ 万穂 歩
車での出勤するさい、笠置大橋の上に、いつも定時に歩いていた背の高い矍鑠(かくしゃく)とした紳士を見た。背筋を伸ばし大股で前を向いて歩いている。散歩というよりは歩くことを目的に歩いているようである。「いったいどんな人なのだろう。」と常々思っていた。通いの理髪店でその話をすると、「高校の理科の先生で、最後は校長先生までした人だ。」とか。
そういわれればそんな感じだ。理科の先生だったということだから、きっと万歩計をつけながら、それをグラフに記録するか、日記にでも書きとめながら毎日欠かさず歩いているのであろう。
この町に住むようになって、18年近くになる。元号は平成から令和へと変わった。歴代町長も4人知っていることになる。リーマンショックに、政権交代、東日本大震災もあった。何人かの日本人ノーベル賞受賞者も生まれるなか、子供も大きくなった。笠置大橋には側道橋もできた。笠置ではまだ発症者はいないが、世界中コロナで大騒ぎになった。そんな年月を感じながら、橋の上を散歩する紳士は、大橋から大橋横に新設された側道橋へと移りはしたが、あい変わらず同じ時間に同じところで目にする。
ただ、その紳士の背中は曲がり、歩幅も半分くらいになり、前というよりは斜め前を向き、とぼとぼと歩いている。とぼとぼと。
でも、とぼとぼではあるが、まだ毎日歩いている。
きっと、こんな感じで思いついた短歌だと思う。
18年でなく二百月としたところに、毎日感と経年が古典的表現で表されている。
姿勢と歩幅に、歩いている本人の歌でなく、はたから見た目とわかり、年月とともに年老いていく哀愁を、散りゆくもみじに背負わせたのだろう。
散歩をし続けていることを望むが、その通りにはいかないのが、人の常というものである。
先の歌を受けての、別の作者の短歌だが、返歌とできそうな歌も紹介する。
散る桜 秋の紅葉も 散る紅葉 やがては笠置の 石となるらん
どんな生物であれ、炭素と酸素とカルシウムとその他の元素でできており、焼けば二酸化炭素と水と窒素酸化物と炭素とその他の元素の化合物になる。空気中に放出された分子はどうなるかわからないが、固形物は重力によって沈殿、堆積し、何万年もの圧力よって、石となる。
そんな石がある、石の国「笠置」である。
この短歌にあうイラスト募集しています。詳しくは、miwashiro@mx2.wt.tiki.ne.jp (岩城まで)
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