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57 白黒の 卒業写真の あの人と 会って見たいが あの世でしか無理

57 白黒の 卒業写真の あの人と 会って見たいが あの世でしか無理

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白黒の 卒業写真の あの人と 会って見たいが あの世でしか無理  荒井正孝

 「卒業写真」とくれば「ユーミン」であるが、「松任谷由実」より、「荒井由実」とついつい言ってしまう世代の人達の「卒業写真」は「白黒」のことが多い。そしてその世代の人達は、現在アラウンド還暦以上であり、ぼちぼち自分の死についての考察を始めることだと思う。そこには親族や友人の「死」と、若かりしころへの「回想」がベースとなり、「俺の人生はこれで良かったのだろうか? あの時右でなく左に行っておけば良かったのではないか? 痛みのある体をいたわりながら残りの人生を完うすることができるだろうか?」などと、過去の選択に対してセンチメンタルになりながら、卒業アルバムを眺め、今後どう生きていくかを模索することもあるだろう。

 まあだいたい「御愁傷様」とすんなりとお葬式その他で言えるようになってから、しばらくして、何かの機会に起こることだ。

 さて、60歳頃には、10%以下ではあるが数%の人が既になくなっているはずである。美人薄命といわれるがごとく、若くして美人がなくなっているとしたら、会ってみたいような美人はもうこの世にはいない。というようなストーリーになるであろう。

 しかしこれがアラウンド70となると、結構な同級生がなくなっており、別に薄命な美人でなくとも、そこそこの人がこの世にいない。

 そして、80歳頃になると、まあ半分近くがあの世でしか会えないこととなる。

 そんなことを考えるように、還暦近くで、時に、何かの機会に、おセンチになったり、自分の過去の生き方を回顧したりすることもあり、それもまた人生なのだろうと思う。

 ゲーテが「若きウエルテルの悩み」を書いたように、自分自身が「老いたウエルテルの悩み」を書いてみたいと思うことも、ありだろう。

 書くほどの才能はないが、ちょっとだけ、主人公でいてみたい場面もあるだろうから、そんな場合は、迷惑がりそうでない人を探して、中ジョッキのビールでもおごってやって、その人にその老いたウエルテルとやらを、語ってもいいだろう。

 そんなこと考えながら、ふとユーミンの歌を、心のまま替え歌にしちゃって口ずさんでみた。

悲しいことがあると 開く皮の表紙 
卒業写真の あの人は 今はもう いない
 
あの頃の生き方を 私は忘れないわ
あなたは私の 青春そのもの

 なかなか、いい感じ。全編、替え歌にしちゃっていいかも。題名は、「卒業写真の還暦時の考察。」さだまさしに歌わせればきっとうける。

 そしてさだまさしの「恋愛症候群」に歌われているように、途中で編曲して

恋は必ず消えていくと誰もが言うけれど
ふた通りの消え方があると思う

一つは心が枯れていくということ
そしてもう一つは 老いというものに形を変えること
あなたに会えて心から幸せです。

あなたは 誰かの 奥さんでしょう。
あの世では 絶対に 僕の そばにいてください。

合掌

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