なぜだろう。私も共産主義を理想としていた。

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岡山県立高梁高等学校時代は、剣道部と新聞部と書道部に属していた。

いや、その前に、温故知新から名をとった温知寮という、岡山県立高校付属の学生寮にお世話になりながら、高梁高校へ通っていたというべきか。

その温知寮は、帝国大学、岡山六高、松山中学という、備中松山藩の流れ、その中には山田方谷などを生んだとされている、由緒正しき教育の場の流れを汲んだ旧制中学時代の学生寮の制度を移行した施設であった。

そして、そんな伝統ある寮には、若者特有の、反骨精神があった。

その精神は、昔からあったとは思う。父親岩城哲弘も同じ温知寮出身で、その当時のことを酒を飲んだ時に聞くこともあるが、まあ若いものが考えることは、似たようなものだと思う。

まさに「故きを温め新きを知る」である。

なので、高校時代は、社会主義や共産主義に憧れはしていなかったが、反政府? ちょっと違うが、反教師組織という、反支配者組織に所属して、ちょっとだけは、活動? していたように思う。

そして、感受性豊かな時に、古典から学ぶ理論武装をそれなりに身につけたと思う。

そして、チャチな反骨精神の中、本当に共産主義、社会主義に染まりはじめたのは、予備校時の、京都大学の学園祭であった。

続きは、後日。

気分が向けば。

 
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