なんだかんだ言っても、貧困国は食糧から。エネルギーも大切だが、まずは食糧。
なんだかんだ言っても、貧困国は食糧から。エネルギーも大切だが、まずは食糧。
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なんだかんだ言っても、貧困国は食糧から。エネルギーも大切だが、まずは食糧。
大東亜戦争終結後、17年して私は生まれた。もの心ついた当時、東京オリンピックも終えたこともあり、日本は貧困国とは全く思っていなかった。
私は、戦後の山奥の開墾地で生まれたにもかかわらずだ。
戦後すぐに朝鮮から引き上げた岩城家一家の長男が小学5年生の時、祖父は決意した。
住むところがないので、山の中腹の土地を町から払い下げを受け開墾するしかないと。
家族でその山中に移り住んだ。
その後、その長男は大きくなって、それからの経緯は省略して、遠い親戚の2つ下の嫁をもらった。
私はその二人の長男で昭和37年に生まれた。
物心ついてからのことだが、当時、牛と、ウサギと、鶏を飼っていた。
ウサギ肉と鶏肉は食べる機会が、お祭りなどの時あった。
でも、牛肉は滅多に食べることできなかった。
本当に稀な機会に、牛肉を食べると、「なんておいしいいお肉だろう」と思った。
バターの味がする肉だった。
母親に、うちではウサギも鶏も牛も飼っているのに、なんで牛肉は食べれないの?と聞いたことがある。
小学校の低学年の頃だったと思う。
母親の答えは、その時はよくわからなかったが、今なら理解できる。
その回答は、「そりゃー、日本が戦争に負けたからじゃ」だった。
母親の言うことには、本当かどうかは定かでないが、うちに飼っている牛の肉は米軍基地に行くとのことであった。
「うちの牛の肉は、アメリカ人が食べるんじゃ」
当時、沖縄返還とか、田中角栄の日中友好とかそれらしことは多くあったが、戦後だったとはあまり思えなかった。
多分、戦前や戦中を知らないからだと思う。
戦後17年プラス小学生だから戦後25年以上だと思うが、戦後だったんだなと今からは思う。
全く関係ないが、見ていると、そんなことを思い起こさせる動画。