ソーシャルキャピタル(社会資本)を考えさせられる。
ソーシャルキャピタル(社会資本)を考えさせられる。
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私にとっての、「ソーシャルキャピタル」とは、20数年前、ケアマネージャーの試験を受ける時、初めて参考書で学んだ単語で、大学では教えてもらっていない。
社会資本と訳す。社会的な共通の財産とも言える。
社会の制度とか、施設とか、考えかたとか、人力とか、隣近所の助け合いも含まれると思う。
介護保険では、老人用の施設とか、訪問看護などの制度とかをさすが、祭りとか、桜並木とか、人の思いやりとか、「こんにちは」と挨拶するような、人の心を和ませるような、条件を満たせば、誰もが接することができる文明や文化的なことまで含まれると思う。
今までその国で、その地域で歴史的に築き上げられた、他人に対しての正の財産。あるいはそこに住んでいる限りにおいて、自分が受け取ることができる正の財産。
とも言えると思う。
その、社会資本が充実していれば、住みやすい。あるいは、介護関係で言うと、老後が安心できるということである。
もちろん子育て世代も、細かい対象施設や制度は違えど、子育てのしやすさということでは、同じことである。
小学生が1人で電車に乗って通学するなど、不安全なアメリカでは考えられないから、それもその一つである。
日本では、日本の先人が、苦労して培った社会資本がある。それが国家としての日本国だと思う。
移民の人たちが、それを崩そうとするなら、受け入れる必要がないと思う。
従順に受け入れるならば、我々も移民を受け入れよう。
哲学の違いは、お互いにとても難しい。
一夫多妻が当たり前の人たちと、隣近所で過ごすにはかなり苦労が必要だと思う。
30年近く前、トルコを旅した時、同じトルコ人でも、クルドとのそれらの違いでゲリラ戦が繰り広げられていることを、トルコ人から習った。
同じイスラムの国の中での、ゲリラ線という混乱だから、日本に来たならもっと問題が生じてもおかしくない。
移民に対しては、日本文化を守らなければならないと思う。
しかし、文化というと、ほんわりとした陳腐なものにも聞こえる。
移民問題に対して、キッパリとこう言おう。
日本のソーシャルキャピタル(社会資本)を守る必要がある。
文化とも言えるが、実は、文化を超えての、住みやすい基礎を築いている、先人からの財産なのである。
第二次世界大戦敗戦を乗り越えても、維持できている財産。そしてその後ますます、制度的に蓄財できてる財産がそこにはある。
子供たちのために、守り通す必要があると思う。
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