批判は簡単。新聞記者になりたいと思ったこともあるが、今は「ならなくて良かった」と、思う。
批判は簡単。新聞記者になりたいと思ったこともあるが、今は「ならなくて良かった」と、思う。
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岡山県立高梁高等学校生の時、新聞部員だった。
年間2報だけ出す、地味な高校内の学生新聞。学校の先生批判も載せたが、許してもらえた。
顧問は、世界史担当の先生だった。
部員だった理由は、正論を主張し世相を切る新聞記者に憧れていたからだ。
当時は、大学受験勉強のこともあり朝日新聞を読んで、天声人語を書写していた。
大学に入ると、本田勝一の本や、朝日ジャーナルを好んで読んだ。
当時から左翼を認識していた。
でも今は、世の中の仕組みがわかり、右翼に転じた。
いつ頃からと言うと、留学して国というものを知り、国を振り返ることになった。
そして、帰国後笠置町に来て、むし歯予防のフッ素洗口を笠置町に導入しようと活動を始め、反対する勢力を知った頃からだ。
自分の保育所の担当歯科医師の職をかけて、普通のむし歯予防を笠置町の保育所に導入しようとして、反対勢力の批判のため、結果的に辞任した。
批判は簡単。誰でもできる。
批判で脚光を浴びる人がまあまあいる。
でも、その人は何もしていない。批判の努力しかしていない。
「それ反対。」これだけ。
あとは、反対理由を似非科学的にこじつけ、それを飯の種にする。
あちこちのマスコミが、反対意見をチヤホヤする。
残念ながら無知な人の賛同や、行政職員の電話対応という、エネルギーロスが巻き添えになる。
笠置町行政は、「反対者がいるからそれはできない。」と言った。
弱者は弱者のままで据置。
どれだけ正論を通すことが大変なことか。
それから、10年ぐらい経って、京都府職員上がりの、まともな青柳副町長が来て、やっと私の意見が当たり前になった。
そんな経験から本当に頑張っている人は、新聞記者などの、批判家ではないと言うことを、実感する。
英語や国語より、数学や生物学ができたせいで、新聞記者を職業にしなかったが、しなくて良かったと思う。
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