組み体操は止めないで欲しい。
組み体操は止めないで欲しい。
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学校での運動会での組体操。止める市町村があるらしいが、止めないで欲しいと思う。
私の子供は、もうその年齢を過ぎたが、お兄ちゃんの時やって、弟でやらなかったというような、時代の流れは、流れからして反対だし、そもそも、組み体操の意義を、理解していない人が、そのような方向にもっていくのだろう。
長男は小柄だったので、ピラミッドのトップに立ったことがある。
下の子の時は、手の指を、組みたいそうとは関係ない学校の体育で運動会前に骨折して、他の生徒が組みたいそうで体表現しているときに、横で座っていなければいけないこともあったが、それでも組み体操に参加できる場所では、何らかの活躍をしていた。
このような、いわば光と陰のようなことは、必ず大人になっても起きる。
そのような、人生の光と陰において、うぬぼれや落ち込みがあるが、これを、子供の時から、少しずつ。正しい指導のもとに、体験することによって、理性的な判断ができる大人になるのだと思う。
このような体験をせずに、大人になってから初めてうぬぼれや挫折の経験すると、あやまった方向にすすむことをコントロール出来なくなる。
トップに立たせてもらえる子供に対して、下段のささえの生徒に、心から感謝するよう、いかに教えるか。
いつも下の方で土台にしかなれない子供に対して、プライドを持たせるようどのようにアドバイスするか。
組み体操は、運動能力の向上よりも、これらの道徳的教育が現実的に身にしみてできる重要なチャンスだと思う。
組み体操は華々しいが、それを完成させるために、日本人が大切にしてきた事を、伝える絶好の機会だと思う。
ある意味では、その場面をどのように収拾するかという、おとなへの課題かもしれない。
どんな運動でも、残念ながら骨折するものもいる。
骨折する運動だからと言って、周囲が止めにかかると、ブランコすらできなくなる。
形は変えても、組み体操の基本的な哲学を利用した集団演技はやって欲しい。
ピラミッドの最下段にいた体格のいい女の子が、「いつも私、一番下で苦労するばかりや」と不満を言った時、母親は、「あんたは支えてるんや。支えている人と支えられている人とどちらが偉いんや? それに、あんたこけたら、あんたの好きな○○君がこけるんやから、頑張らんとあかんで。」と励ましたという話を、運動会前に聞いて、「いい母親なー」と涙が出ました。
人のために頑張る。この考えを、組み体操は、一番教えてくれるものだと思う。
人に支えられてこの成功がある。 この考えを、組み体操は、一番教えてくれるものだと思う。
組体操、なくしてはいけないと思う。