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この動画を何回も見ましたが、その度に涙が出ます。開発者ではないですが、親父は頑張ったんだなと思う気持ちでいっぱいです。

この動画を何回も見ましたが、その度に涙が出ます。開発者ではないですが、親父は頑張ったんだなと思う気持ちでいっぱいです。

車に乗るたび反吐をはく。悲しい小学生の物語です。

理由は、当時の戦後下の状況を認識することと、ノスタルジックなことです。

当時、父親は、昭和9年生まれの、郵便局員でした。

羽振りのよい親戚の果物屋は、黒塗りのクラウンを購入して、それを使って配達していました。

父親は本田のバイク、CB50かCB90を買って、移動するようになります。

50は緑色で90は二人乗り可能で黒色だったと思います。

そのうち父親は郵便局の有志何人かで共同購入でスバル360ccを買いました。

当時、運転を、教えられる人はいなく、学校などの運動場で、仮想交差点を書いて、みんなで、どう運転するかを練習したそうです。

(ここのとこは笑けます。くるまの運転を教えられる人がいない時代があったなんて)

小学校2年生の夏休みは、その車で、海水浴に連れて行ってくれました。

田舎で、しかも山のなかで生まれ育った私は、車の匂いがだめで、車酔いに弱く、海にいくまで反吐を何度もはいて、運転手や周りの人や父にすごい迷惑をかけたことは今でも覚えています。

今から、総合的に、正直に言うと、車の旅行は苦痛でした。

小学校のバスに乗っての社会見学は、仕方なしに行って、必ずげろはいていました。

これは、中学校の3年生の長崎への修学旅行まで続き、そのときは熱まで出して、旅館で寝ていたこと覚えています。

阿蘇もいきましたが、バスのなかでじっとしてました。

そんな、車に弱い子供でした。

話はかわりますが、スバル360を共同購入した一人を、父親は、「こうくん」と呼んでいました。

こうくんは、そのスバルをつかってデートし、そのうち結婚をし、そのときの仲人は私の父親でした。父親は上司で、紹介者だったかもしれんません。

私の海水浴行程での「げろ」は、その結婚とは、まずほとんど関係ないですが、ひょっとしたら、こうくんは「子供とはそんなものだ」という事前学習をしたかもしれません。

そんな時代だったです。

今ではカーシエアリングというらしいですが、じつはその制度はその頃からあったのです。

父親はスバルの開発者ではないですが、そのお陰で、当時頑張った一人なんだなと思う気持ちでいっぱいです。

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