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33 明日は逝く 集う家族の 張りつめは 疲れ溜まって もっても七日

33 明日は逝く 集う家族の 張りつめは 疲れ溜まって もっても七日

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明日は逝く 集う家族の 張りつめは 疲れ溜まって もっても七日

人生そのものは、その年齢や立場や場所で、それぞれがそれぞれの思いを発しようとするので、関係者が掴めきれなくなくなるほどの流れを生じさせることが多い。これは、物理的用語を使うと、「エントロピーの拡大」と言え、周りの人は、その拡大を受け止める器量があるかどうかによって、どう評価するかとか、どう対処するかとかの判断が決まる。そして、その評価や判断は、後々の人間関係を左右することとなる。

さて、人生においては拡大方向から収束方向へ向かう場面が必ず誰にでもやってくる。もう一度、物理的用語を枕詞に使うと、「エントロピーが一定方向へ収束する」と言える「死」というものである。これは、最終的に一点にたどり着くため そう複雑性とか多様性とかがなくてもよさそうに思うが、実は家族との別れの場にも多様性があることは、エントロピー拡大エネルギーの余波とも言える。その最後のエントロピー拡大余波エネルギーもその人なりの仕業であるが、そこに何を見出したらよいかを、医療従事者は困惑することもある。

突然倒れて、すぐに心肺停止。周りの人や、救急隊員、医者や看護師の汗だくの蘇生の努力したにも関わらず、何も変化ない。医療関係者は誰もがもう無理だと思いかけている時に、ご家族の誰かがタクシーに乗っているとのことで、「その人が到着まではなんとかやり続けよう」という、掛け声がないまでも、誰もがそう感じていることがある。その甲斐あってかなくてか、家族の一人が到着後間も無く、主治医の名前も良く分からないまま、その家族に「ご臨終」を告げられるが、それは致し方ない。

一方、「ぼちぼちですからご家族の方を呼んでおかれた方が」と長年付き合った主治医に言われて、あちこちに電話をかけて、親戚一同がなんとか死に目に会うために集まって、病室が満員御礼となる場合もある。そして、その主治医から、個人の頑張りを含めた最期の一言でもあれば、感きわまるという劇場もできあがる。

しかし、後者の場合、そうしたこの役者の最期の舞台だからと言って集まったにも関わらず、急遽延長興行でロングランとなることもけっこうある。「死期を読み間違えた医者が悪い」とせめるわけにもいかず、残しておいた仕事を電話とメールで連絡しながらこなし、今か今かと待たなくてはならなくなると、「今晩か」と思っていた緊張もほぐれ、そのうち疲れが出はじめる。1日2日ならまだ我慢できるが、「あの日亡くなっていたら、今日はもう初七日」という時まで達すると、家族の疲れもピーク、仕事の溜まりもピークになり、一度東京へ帰らないといけなくなる。

医者も然り。
淡々と仕事をこなしているように見える医者の方も、家族の疲れから感じる圧迫感に、内心「俺は予想屋じゃないからな」とついつい言いたくなるような感情が育つ。

とりあえずまだ持ちそうだからと、東京に帰った途端、急遽電話がかかって、「お兄さん、残念じゃった…」と。
そんな別れ際もたまにある。

「医者は死の演出家でなくては名医と言えない」と思っている内科医は多いが、役者の多様性があり演出通りには行かない。

これを医療の不確定性と定義できる。

この短歌にあうイラスト募集しています。詳しくは、miwashiro@mx2.wt.tiki.ne.jp (岩城まで)

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