言質をとる。こんな患者はややこしい。一定の人たちに多い。
言質をとる。こんな患者はややこしい。一定の人たちに多い。
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予知性が乏しい医療(それを高めるために我々医療人は日々努力はしているのだが)に対して、「治せんるんですね?」とか「何年持ちますか?」といった質問は結構ある。
究極の場合は、「後何年生きられるでしょうか?」なんていうのもある。
正直言って、答えるのに知識が乏しいし、答えた場合に結果的に、答えた結果を基にして人生計画を立ててもらった結果、それが予想外れの展開を迎えることもある。
だから、あまり、予想屋的なことは言いたくない。「医者は予想屋ではない。」と正直にいう先生も最近多い。
しかしながら医者は素人よりは科学者でもある。読んだ論文や経験からある程度予想は立つ。
予想屋でない無機質な医者は、感情的に心の支えにはならない。
日本の場合、周りから求められた、医者の神格化という歴史的な立場もあり、本人としては、受験戦争に勝ち抜いた「上に立ちたいというプライドもある」かどうかはわからないが、少なくとも健康のアドバイザーでありたいとは思っているし、それが人生のアドバイザーになれるかどうかは別として、理論的にあるいは経験的にどの程度の答えをしたら、患者や家族が喜びそうな平均的なというか まあ無難な答えを知っている。
だから、臨床的には科学的な答えをして、わからないところはわからないと言いながらも、まあ大体のことを、いわば平均的なこととか、ちょっとだけ本人や家族の雰囲気を踏まえたこととかを伝える。
例えば、経験的に後1年持たないなと思っている主人の病気の場合「先生あと3年は生きて欲しいんですけど。」と家族の人に言われて、「それは無理ですが、ご家族の支えがあれば、1年以上生きられるかもしれません。」なんて、科学的知見を強くねじまげるのではないが、家族の「こう答えて欲しい」という希望を維持させる要素も含ませた答えをする。
数学でなくて文学でもある。
ところが、こんな文学的要素を苦慮しながら取り込みながらの科学者の発言に対して、「先生は1年以上生きると言うのだから、1年以内に死んだら責任を取らないといけませんよ。」と、たいした意味のない言質を取り責任を押し付ける政治家が日本にいるというのは、とても恥ずかしい。
ヤクザの世界ではよくあると思うが、科学者に対してはどんなに醜いことか、と思う次第である。
陳さん、昔は応援していたんだけど、松下幸之助も泣いている。
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