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63 故郷で いつの間にやら 総入れ歯 他人に見える 老いへの悲しみ

63 故郷で いつの間にやら 総入れ歯 他人に見える 老いへの悲しみ

故郷で いつの間にやら 総入れ歯 他人に見える 老いへの悲しみ

 「故郷で いつの間にやら 総入れ歯」 は、「親」という単語が出てこずとも、両親のうちどちらかが、いつの間にか総入れ歯になってしまったということが十分に想像できる、とても強烈な歌である。

その故郷に残している両親いずれかとは、年数回会う。盆と正月、それにゴールデンウイークだろう。ちょっとずつは老けてきていることは、なだらかな坂のように感じはするが、まあこんなもんかと思いながら帰省を繰り返す。しかし、歯がなくなり、総入れ歯になったとなると、顔貌が急激に変化するので、まるで他人に見えてしまい、人見知りしてしまいそうになるとともに、親の老いに対して、なんとも言えない気持ちになる。そんなことを表現しているのだろう。

 ところで、「歯(は)」片に「令(れい)」になると書いて「齢(れい)」となる。「齢」を訓読みすると「よわい」となる。「よわい」は「弱い」ことである。「令」には「欠ける」という意味があり、つまりは歯がなくなることは「弱い」に通じるのであり、「老化そのもの」ということである。

などと考えてしまう味わいのある和歌である。

「母は 今年 2月で 65 顔のシワは増えて いくばかり」と歌い込んだ井上陽水の気持ちが感じ取れるが、陽水がこれを作ったのは40年以上前の話である。

あれから、高齢者の定義も立場も健康状態も変わっている。

今だったら、65歳の母はまだテニスかゴルフ、田舎だったらゲートボール? などしていて「結構元気だわ」という展開を想像する。

人生が2度あればとは考えては見るものの、陽水の歌はしょせん、よそからの目だったようにも見受けられる。

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