なぜだろう。私も共産主義を理想としていた。(その2) 「香港に栄光あれ」となんか、あえて思わなかっただろう頃の話。
なぜだろう。私も共産主義を理想としていた。(その2) 「香港に栄光あれ」となんか、あえて思わなかっただろう頃の話。
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なぜだろう。私も共産主義を理想としていた。(その2)
「怒りの葡萄」みたいに話が飛ぶ事を許してほしい。
稚拙ながら、共産主義を理想することになった経緯は、後日に回す。
共産主義を理想としていた頃の末期の私には、1993年、ブダペストで国際免疫学会があった。
幸いなことに、発表する題材を得た私は、かなり努力して、ポスターとスライドを作り上げて、英会話の個人レッスンも受けながらの半年間を過ごし、安い南周りの香港のキャセイパシフィックだったか、シンガポールエアラインだったかの乗り継ぎでブダペストについた。
中略
帰りの飛行機では、よこに香港からの若い女性二人組がいた。
4年前の、1989年のベルリンでの国際免疫学会では、行く途中、香港に立ち寄って、「ローレックス、5000円、中身セイコー(日本製?)」などの、イミテーション王国の香港、そしてその当時の活気溢れた、とても面白い都市香港を経験していた。
また、1989年のベルリンには、共産圏と自由主義国とを隔てるベルリンの壁があったが、なんとその年、崩壊してしまった。
そんなグローバルな経験もあり、香港の女性二人とはとても話が弾んだ。
そこで、香港が中国に返還されることが決まっているが、その時はどうするの? と聞いてみたが、I don't know. と笑いながら、陽気に言っていた。
まさか、今の香港になるとは思っていなかったであろう。
その二人はとても美人だったので、今困っていたら、なんとかしたあげたいとは思うが、もう、おばあさんなのだろうなと思う。
どうしているのだろう。子供が、共産党にいじめられていなければいいなと思う。