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父親は韓国の鎮海で生まれ、韓国人に関してなーんの偏見もなかった。

父親は韓国の鎮海で生まれ、韓国人に関してなーんの偏見もなかった。

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父親は韓国の鎮海で生まれ、韓国人に関してなーんの偏見もなかった。

学生時代に、韓国人と中国人に出会った。

韓国人は上下の学年にいた。

一つ上の学年の金という在日韓国人は、すごく優秀な人だった。

大学でも卒業時表彰されていたし、学友会の執行委員長までした人だ。

中国人は、月14000円の安い間借り様のアパート、つまりが私の隣に住み着いた。

この外科系の中国からの留学生は、私にとっては、まあ、いい人だった。

いつも、「一緒にご飯を食べますか?」

と聞いてくれたが、彼が作っている料理に、卵のスクランブルエッグ状態に、日本のきゅうりが混じっているのをみて、遠慮していた。

「一緒にご飯を食べますか?」は、中国人にとっては、日本人の「今日はお天気が良い様で」に相当する、挨拶の枕詞ではある様だが、そんなことは知らなかった。

そんな彼は、どの程度外科医として優秀なのかも全くわからず、単なる同居者だった。

その後、京都大学に来て、祖先生と出会った。

彼はウイルス研の大学院生だった。

子供も連れてきて、私のバイト先で子供のむし歯の治療もした。私は独身だったので、家庭に誘われて、中国の醤油も薦められた。

祖先生は、その後にニューヨーク大学に行き、何度か年賀状をもらったが、音沙汰で、最近ネットで調べると、中国の医科大学の教授になっていた。

その当時、中国から留学して京都大学に来た外科医の話を、外科から来た大学院生に聞いた。

夜は、天下一品だったか、王将だったかでバイトしていると。

その中国人留学生は、生体肝移植をしている講座にいた。

今から思えば、帰国して、中国での、生体肝移植の第一人者になっているのではないかと思う。

王将も、中国ではとても有名な外科医を育てた可能性がある。天下一品だったかもしれないが。

私がいた免疫研にもべちゅういん大学から来た人がいた。

笹川留学財団の金で来ているということだった。
20万円ほどする、マッキントッシュを買って中国に帰っていった。

フローサイトメトリーという検査機械が、日本の大学医学部では、まあ最低一つはあるだとうという状況で、中国では全国で3台しかなく、自分の大学にはあると自慢していた。

そんな彼らは、とても優秀だったと思う。

多分、中国内部で選りすぐられた人が来ていた。

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