理念は大切だが、現実は違う。
理念は大切だが、現実は違う。
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ある、笠置で開かれた、「能」をテーマにした、個人宅での宴会でのこと。
能の舞踊もあった。
その時笠置中学校の先生がいた。
「能」がテーマでそれに関して、観阿弥世阿弥などの歴史的話題とか、漫画雑誌モーニングにあった歌舞伎の漫画の話とかを終えた後、「能」から「能力」の話になった。
人の能力とは何かなどと、哲学的な話をした後、
生徒の能力とかの話になって、私はキッパリ、「僕は学歴主義なところが強いんですよね。」と言った。
これは、笠置歯科口腔外科診療所の院長として、何年間かいろんな人を雇って得た教訓だ。
その中学校の先生は、私のいうことを差別とか、判断が未熟だとか、何やかやと言って否定した後、ほのぼのとした顔で、「できない子でもいいところがあるんですよね」と言った。
それは正しい。
できないその子にもいいところはあるだろう。
でも、そのいいところは、経済の歯車には噛み合わないことが多いということをあまり理解していないように思えた。
学歴主義の何が悪い。
私はその先生に言った。
「人を雇う身としてみれば、使い者になる人を雇いたいと考えるのは当然でしょう。
その時、面接とか、テストとか、履歴を見ますよね。その人の未来の能力を創造して、人事を決めますよね。
私の経験では、押し並べてみると、やっぱり偏差値の高い高校をでている人は、能力が高いんですよね。
だから先生の使命は、学力という能力を上げることだと思うんです。特に中学でいい高校に行かせることはとても大切なことだと思うんですよね。」
と言ったが、とてもいやな顔をされた。
その先生は、生徒の学力を上げるために自分が努力するのが嫌なのか、そんなん考えを持っている私が嫌なのか、迷った。
その先生は正直言っていそうなので嫌いではないが、世間は卒業して就職する人に何を求めているかというと、「できない人のいいところ」ではないと断言する。
公務員でも、学校の先生でも、「できない人のいいところ」がいくらよくてもなれない。
できない人のいいところではなくて、できる何かで、その立場に立つことができる。
そして、それで生計をたて、納税する。
つまりが、義務教育、義務以上の教育も含めての国民教育全てが、よき納税者を育てるためのものだと思う。
その場で活躍して、報酬を得て、納税する。
いい高校に行けば、それ以上に高学歴であれば、必然とできることも多くて、納税額も多い。
人の活動の大半は、できる人の納税の結果の税金から得られた国家予算として支えられている。
その点、消費税は嫌だが、それはさておいて、
学生の頃、学校の先生になりたいと思ったこともあるが、ならなくてよかった気がする。
矛盾したことを人に言う職業につくのは、私の性に合わない。
がん患者に対して、「あなたは癌ではないです」と言うのが正しいと教育を受けたことがあるが、それが今は無くなっているので、幸せである。
嘘をつかなくていいから。
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